※CAUTION※
この記事は主観や根拠のない独自の解釈と推論から書かれており、情報の信憑性に問題があります。自分のメモ用且つ執筆・編集途中ですので随時加筆修正しています。
私的/学術/研究 等いかなる理由においても一切の転載・引用やそれに準ずる行為を禁じます。
※この注意書きは2017年5月に話題となった某大学論文の引用ハラスメント騒動を受けて書いています。最終的には個々の倫理観に帰しますがご協力の程お願い致します。
【ヴォイニッチ手稿 とは】
1912年にイタリアで発見された古文書(写本)。
未解読の文字が記され、多数の奇妙な絵が描かれていることが特徴。
名称はイタリアで同書を発見したウィルフリッド・ヴォイニッチにちなむ。
特殊な文字(未解読文字)によって何かの詳細な説明らしき文章が多数並んでおり、かなり緻密な植物や花を思わせる彩色画が描かれている。
植物の絵が多いが、それ以外にも不可解な挿し絵が多数描かれている。
文章を言語学の統計的手法で解析した結果、でたらめな文字列ではなく自然言語か人工言語のように確かな意味を持つ文章列であると判断された。
【登場人物まとめ】
カロルス・クルシウス(シャルル・ド・レクリューズ) 1526~1609/植物学者
マクシミリアン2世 1527~1576/神聖ローマ皇帝
ティコ・ブラーエ 1546~1601/天文学者、占星術師
ルドルフ2世 1552~1612/神聖ローマ皇帝
ヨハネス・ケプラー 1571~1630/天文学者、数学者、自然哲学者、占星術師
ヤコブス・シナピス 1575~1622/ルドルフ付個人医
ゲオルグ・バレシュ 1585~1662/錬金術師
ヨハネス・マルクス・マルチ 1595~1667/王室付医師
アタナシウス・キルヒャー 1601~1680/イエズス会司祭
【年表】
●15世紀
1404~1438 手稿に使用された羊皮紙が作られる
●16世紀
1573 カロルス:マクシミリアンによりハーブ園の園長として雇用
1576 マクシミリアン没/ルドルフ:神聖ローマ皇帝/カロルス:解雇
1582 ルドルフ:手稿を購入(逸話)
1599 ブラーエ:皇室付帝国数学官/ケプラーを補佐として雇う
●17世紀
1609 カロルス没
1612 ルドルフ没
1608~1622 所有者変更:ルドルフ→ヤコブス
1630年代 所有者変更:???→バレシュ
1640年代 所有者変更:バレシュ→マルチ
1662 バレシュ没
1666 所有者変更:マルチ→キルヒャー
1667 マルチ没
1680 キルヒャー没
●18世紀
●19世紀
1866 ヴィラ・モンドラゴーネ寺院に収蔵
●20世紀
1912 ヴォイニッチ:手稿を発見、所有者となる
1930 ヴォイニッチ没
1945 ウィリアム・フリードマン:解読に挑戦
1969 イェール大学付属バイネッケ稀少図書・書簡図書館に寄贈
1987 レオ・レヴィトフ:著書にて独自の主張
●21世紀
2011 アリゾナ大学の照射性炭素年代測定により使用された羊皮紙が作られた年代が判明
2014 ベッドフォードシャー大学言語学者 ステファン・バックス教授が一部解読に成功したと発表
2017 ロシアの科学者が読解に至る規則性を発見したと発表
2018 カナダの電気技師が古いトルコ語で記載されたものであると発表
【手稿の所有者の流れ】
(1582~1608-1622)ルドルフ2世
(1608-1622~?)ヤコブス
(?~?)???
(1630~1640)バレシュ
(1640~1666)マルチ
(1666~?)キルヒャー
(?~?)???
(1866~1912)ヴィラ・モンドラゴーネ寺院
(1912~1961)ヴォイニッチ→エセル(妻)→ニル(秘書)
(1961~1969)クラウス(書店主)
(1969~)イェール大学
【自説提唱】
①マクシミリアン2世とカロルスの共著説
・マクシミリアン2世
カトリックを守護するはずの神聖ローマ皇帝でありながら新教寄りの姿勢をとっていた。
ルター派に共感を抱いていたが、父が廃嫡を仄めかしてそれを禁じたためカトリックに留まった。
皇帝になった後はプロテスタント派に宗教の自由を認め、同時にカトリックを改革しようとしたがスペインの反対により失敗した。
皇帝カール5世の娘で従妹に当たるマリア・フォン・シュパーニエンと結婚、2人の間には16人の子供が生まれた。
語学が堪能で、自然科学にも造詣が非常に深かったとされる。
・カロルス・クルシウス(シャルル・ド・レクリューズ)
モンペリエで、有名な医師、ギヨーム・ロンドレと学んだが医師となることはなかった。
ウィーンのマクシミリアンの薬園に雇われたがルドルフの即位後間もなく解雇された。
ライデン大学の教授に任じられ、ヨーロッパ最初の公営植物園のひとつであるライデン大学植物園の設立に尽力し、詳細な植栽の記録を残した。
園芸の世界でクルシウスが記憶されるのは学問的な面のほかに、チューリップの品種改良や栽培によってヨーロッパにチューリップ・バブルをもたらす切っ掛けをつくったこともある。
マクシミリアンの後援をうけて、オーストリアの植物を研究するために、高山に登った最初の植物学者であった。
シュネーベルクの登山記録は文書に残された最古の登山記録でもあった。
[使用言語]
●マクシミリアン、クルシウス共に語学に堪能
様々な言語を使用して新たな文字を作った?
→1526〜1582間の神聖ローマ皇帝公用語+二人が使用可能な言語?
●2017年4月にロシア科学者が"使用言語は英語、イタリア語、ドイツ語、ポルトガル語、ラテン語"と発表
→使用言語が1526〜1582間の神聖ローマ帝国公用語や周辺国の言語と一致するか確認
●マクシミリアン、クルシウスが使える言語と手稿に使われていると考えられる言語の照合
クルシウスが翻訳したもの…オランダ語→フランス語、スペイン語→ラテン語、ポルトガル語→ラテン語
クルシウスはオランダ語、フランス語、ラテン語、スペイン語、ポルトガル語が使える?(翻訳できるからといって使えるとは限らない)
マクシミリアンは自然科学に造詣が深かった
クルシウスは植物学の第一人者、医学も詳しかった
マクシミリアンの晩年には薬園(ハーブ園)を任されていた
本の内容は自然科学(植物、天体、生物、薬草)
二人の得意分野と重なる
[何故あのような文字で書いたのか]
●読めない方が都合の良い内容?
遺伝について?(ハプスブルクの血族婚批判に繋がる)
⇒シャルル、センペル・アウグストゥス、モザイク病、チューリップ・バブル
●マクシミリアンから後援を受けていた
(いつから受けていた?1573以前から接点があった?)
→年代は1573~1576(~1582)(執筆中にマクシミリアンが亡くなりクルシウスが1人で完成させた可能性もある)
●マクシミリアンの死後はカロルスが所有?
→宗教弾圧により解雇された(?)カロルスが研究費のために手稿をルドルフに売った
カトリックのルドルフはプロテスタントであり自分が城から追い出したカロルスから高額で購入したとは書けなかった?
●要するに
→マクシミリアンやカロルス、ルドルフあたりが書いた。
宗教とか王族の思想に反するヤベー内容。
学術的根拠(現在ではトンデモ科学?)のある否定で性質が悪いため胡散臭い錬金術書風にカモフラージュした。
~メモ~
手稿の天体図はコペルニクス(1473~1543)が唱えた地動説(1529)について?
自転や公転、周期計算について?
自然科学にも造詣が非常に深かったマクシミリアンなら?
女性が浴槽に浸かっている絵は妊婦が健常児を産めるよう薬湯に浸かっている?
画風や文字は統一されているのか?(複数人で書いた可能性は?)
16人中7人の子を亡くしたクシミリアンなら医学・植物学に詳しく自身のハーブ園を任せていたカロルスに相談してもおかしくない?
ダカットの価値が分からない
この時代にボヘミアで使用されていたダカット(ドゥカート)は何gなのか
現在の金相場と比較すると幾らで購入したのか
この600ダカットはルドルフの私財なのか
むしろ本当に金銭のやりとりはあったのか
購入元が分からないのに本当に金銭のやりとりはあったのか
横領的なものの可能性もあるのでは?
自然科学の書物をルドルフが錬金術の書物と勘違いした?
売り手が錬金術の書物だと騙した?
ルドルフは内容を理解した上で敢えて錬金術の書物だと偽った?
※要確認※
マクシミリアンの薬園にあった植物と手稿の植物の照合
そもそも1582年に手稿は存在したのか?
本当にルドルフが所有していたのか?
カバー内の書簡の内容でしかないので嘘の可能性だってある
書簡が事実である証拠は?
箔を付けるため“そういうこと”にした可能性は?
むしろルドルフが手稿を書いた可能性は?
本業の政治そっちのけで学問と芸術にステ全振りした男だし
ティコ、カロルスはヴォイニッチ解読で呼ばれた?
ティコ→ケプラー→アタナシウス(仮)の順に皇室付
アタナシウスは任命のみ、1633年だからフェルディナント2世が任命
しかし手紙に繋がる
2018年1月~3月にルドルフ展があるけれど…
アルチンボルド等の芸術作品が中心らしいし繋げられるものは無さそう
調べたいもの
地動説、コペルニクス、ルドルフ表(ケプラー)
コペルニクスの宇宙と手稿の天体図を比較
【他説について】
エドワード・ケリー説
1583~1589にかけてポーランドとボヘミアを遍歴
ルドルフが購入したのは1582で少しだけずれている事から否定
エノク語と手稿に使われている言語の構成を比較
ロジャー・ベーコン説
1214生~1294没
羊皮紙が作られる以前の人である事から否定
錬金術の書物だと思い込んでいるからこの2人の名前が挙がるだけでは?
ハプスブルク家
オーストリア系ハプスブルク家。
スペイン系ハプスブルク家、不正咬合により食事は丸飲みだったカール5世とマクシミリアンの父は兄弟
更に言えばカール5世の娘とマクシミリアンは結婚
従兄妹同士の結婚
近親婚で16人中6人が死産や生後2年未満で死亡
血族結婚による弊害?
簡単なジェノグラム
ハプスブルク家もブルゴーニュ家もブルボン家も血族結婚が目立つ
末のエレオノーレも(1568年 - 1580年)とかなり早くに亡くなっている。
使用されたインクの年代さえ分かれば…
